スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

朝鮮人の日本人へのレイプと虐殺

終戦(1945年)後、福岡・博多港には、満州(現・中国東北部)や朝鮮半島からの日本人引き揚げ者が数多く降り立った。
女性たちの多くは、目もそむけたくなるほどボロボロの姿をしていた。

「若い婦人達の多くは断髪し、女性の命ともいうべき顔面などを煤(すす)などで故意に汚し、胸部は厚く布を巻いて乳房を圧し、ズボン姿の男装がおおく、その脱出の苦労が察せられた」


「北朝鮮で農業を営んでいた老夫婦は、年頃の娘二人を連れ、辛苦の末やっと38度線近くの鉄原にたどりついた。
そこで見たものは、日本人の娘たちがつぎつぎにまずソ連兵に犯され、ついで朝鮮人の保安隊に引き渡されてさらに散々辱められたうえ、虐殺されている光景であった。
最愛の二人の娘達もまもなく同じ運命をたどるであろうことを不憫(ふびん)に思い、松の木に縊(くび)って自決させた」

46年に入ると、1割近い女性がソ連人や朝鮮人に暴行を受けて妊娠したり、性病に冒されて帰国し、先行きを悲観して引き揚げ船から身を投げることも多かった。

そのような女性たちを救うべく、民間組織である在外同胞援護会救療部が、厚生省引揚援護局の協力を得て「二日市保養所」という施設を福岡県二日市町(現・筑紫野市)に作った。
当時、堕胎は罪であったが、厚生省はこの施設に限って超法規的処置として「強姦によって身ごもった女性」の堕胎手術を黙認した。

二日市保養所の医務主任、橋爪将氏は46年6月10日付の現状報告書に次のように記している。
「不法妊娠ヲ地区別ニ分類スルニ北鮮二十四ニシテ最多、南鮮十四、満州四、北支三ノ順ニシテ鮮人ニ因ルモノ二十八、ソ連人ニ因ルモノ八、支那人ニ因ルモノ六、米人ニ因ルモノ三、台湾人、比島人ニ因ルモノ各一ナリ」

主に、朝鮮人やソ連人によるレイプの被害に遭った女性たちだ。
麻酔薬が不足していたため、麻酔無しの堕胎手術が行われ、死者も少なからず出たということだ。
また中には、自殺した人も少なからずいたとのこと。



美人女優の故・小林千登勢の自伝「お星さまのレール」には朝鮮で迎えた敗戦時9歳だったが近所に住む朝鮮人の中年男に毎日強姦された。
「言うことを聞かないと一家皆殺しにする」と威嚇されてのことだった、と。
性器に、ひどい外傷を負ったことは言うまでもない。
無数に起きた幼女強姦事件のひとつ。

亡くなってからその真実は本人の遺言どおり公開されたが、終戦と同時に朝鮮にあった自宅の元にやって来た朝鮮暴徒達が当時少女だった小林の元におしかけ、武器や暴力による家人脅迫の上に及んだ凶行を知った時は腸が煮えくり返った。
小林さんは命は助かったが現地の医者で重症と診察されるような酷い状況だったと言う・・



「和夫さん、殺害事件」

<引用文>



和夫氏の亡骸は、釜山に移葬され、毎年、日本人の墓参りが絶えない。

以下は、和夫氏夫妻が殺された日、

ふだん彼から深い恩を受けていた金ソンス君が実際に見た証言だ。

事件当時、金ソンス君も加害者だったが、

殺害行為には同調しなかったそうだ。

和夫氏は、慶尚道地方の日本人地主だった。

公務員だった和夫氏は、政府の命令にしたがって朝鮮へ赴任した。

ふだんから人情に篤かった和夫氏は、自分の生活が困らなかったので、最小限の小作料だけを朝鮮人から取っていた。

また貧しい小作人に、喜んで食べものなどを分け与えていた。

村で誰かの葬礼があれば、家族総出で駆けつけ、食事の支度はもちろん、自ら慟哭して、悲しみを分かちあった。

また和夫氏は、孤児を見つけると、連れ帰って面倒を見た。

その数は、いつのまにか私設孤児院規模にまで増えた。

和夫氏夫婦は孤児たちを家族のように愛し、自ら喜んで彼らの父、母と名乗った。

和夫氏の家族は、このように朝鮮人を愛し、日本軍国主義の政策に憤慨するような人々だった。

しかし1945年8月15日、自分たちが育てた朝鮮人孤児たちにより、殺害されたのだ。

その日、まさに万歳の声とともに、太極旗が波のように風になびきつつ、朝鮮人の世がやって来た。

東京帝国大学に留学までさせてもらったAの主導下に、彼の家で教育を受け、成人した青年たちは、和夫氏のもとに押しかけた。

彼らは、斧と鍬、スコップを手にしていた。

そのとき現場にいた金ソンス君は、次のように証言している。

和夫氏:(穏やかな目で)なんでこんなことを、子どもたちよ。

A:チョッパリ! 日本へ失せろ、失せちまえ。

和夫氏:

(怒ったような声で)私が、お前たちにどんな間違いをしたと言うんだ。

お前たち、皆が私の息子だ。

私はこの家の家長であり、お前たちの親だ。

お前たちの祖国が解放されたことは、私もふだんから待ち望んできたことだ。

踊りでも踊りたい気分の日なのに、なんだって凶器をもって私の所に詰めかけたりするんだ。

私は決してお前たちをそんなふうに教育したおぼえはない。

(涙を流しながら)ほんとうに悲しいことだ。

朝鮮の息子たちよ。

私が愛を傾け、育ててきた結果は、つまるところ日本人と朝鮮人は融和できないということなのか。

お前たちが望むなら、帰ってやるわ。

A:財産を処分して帰ったら、俺たちはどうやって食っていくんだ?

(意味深長な目配せをBに送る)

B:死ね、チョッパリ、シッパルノマ。

間髪入れず鍬が、和夫氏の後頭部に振り下ろされたのと同時に、数多くのスコップと斧が、彼の体を、ずたずたに引き裂きはじめた。

このとき、和夫氏の妻が我慢できず、現場に飛び出してきた。

それまで黙っていたCは、和夫氏の妻を見て、彼女の長い髪をつかみ、庭の奥に引きずっていった。

そしてなんと13人がかりで、ほんの一週間前までお母さんとして恭しく仕えていた彼女を、強姦しはじめた。

(金ソンス君は、自分が止めに入ったら、自分も殺されるだろうと思った)。

強姦に耐えられなかった彼女は、行為の途中で死亡し、Dは、ふだんお母さんと呼んでいた彼女の全身を、

滅多刺しにするだけでは足りず、内臓をひきずり出して、庭にまき散らした。


和夫氏には娘がいた。

ふだん模範的でいい子だった小学6年生のヒミコさんは、放課後、家に帰ってきて、両親の惨状を見、気が狂ってしまった。

ヒミコさんが、何日間も慟哭する声に、近隣住民たちは、眠れなかった。

その後、孤児になったヒミコさんは、食べ物を乞いながら、その付近をさまよった。

しかし朝鮮人は誰一人も、彼女に目もくれなかった。

結局、彼女は、村の橋の下でやせ衰えた死体となって発見された。

和夫氏の財産は、朝鮮の青年たちの手に全部渡り、事件は次第に忘れ去られて行った。

このような事件が、本当にあったということは、

韓国人の証言なので、100%間違いないだろう。



■敦化事件(とんかじけん)
1945年8月27日に満洲国吉林省敦化(現吉林省延辺朝鮮族自治州敦化市)で【ソ連軍】によって連日に渡り 集 団 強 姦 され続けていた日満パルプ製造(王子製紙子会社)敦化工場の女性社員や家族が集団自決した事件。
日満パルプ事件とも呼称される。


■通化事件
1946年2月3日に【中国共産党】に占領されたかつての満州国通化省通化市で中華民国政府の要請に呼応した日本人の蜂起とその鎮圧後に行われた中国共産党軍と朝鮮人民義勇軍南満支隊(李紅光支隊)による日本人及び中国人に対する 虐 殺 事 件 。
日本人3000人が虐殺されたとされている。
中国では二・三事件とも呼ばれる。


日本人必見-戦後、朝鮮人が日本女性をレイプ三昧-
http://www.youtube.com/watch?v=PWOrBpTQfps


【速報】戦後朝鮮半島からの引揚時に朝鮮人による内地人への強姦・略奪・殺害等の事実が明らかになった件
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1393259725/



あまりこういった事実は国民に知られていない・・・・

韓国側への配慮かしらんが、レイプ、虐殺された者たちを何だと思ってるんだ!
関連記事
スポンサーサイト
検索
カテゴリー
最新記事
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

カレンダー
08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
カウンター
RSSフィード
最新コメント
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。